最高裁判所第三小法廷 昭和29年(オ)202号 判決 1955年11月08日
札幌市北四条西四丁目一番地
上告人
畔柳菅次郎
右訴訟代理人弁護士
岩沢誠
村部芳太郎
岩沢惣一
小野寺彰
同市北四条西三丁目一番地
被上告人
近藤道夫
右当事者間の配当金請求事件について、札幌高等裁判所が昭和二九年二月一七日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人岩沢誠、同岩沢惣一、同小野寺彰、同村部芳太郎の上告理由第一点について。
原判決がその理由の冒頭において上告人と被上告人との間に昭和二一年一二月三一日所論のような契約が締結されたことは当事者間に争がないところであると判示していることは原判文上明瞭である。しかし、被上告人は、原審で、右所論のような内容の共同経営、配当金支払契約を締結した事実は認めるが右契約は家賃統制令の適用を脱れる目的を以て当事者相通じてした仮装行為であつてその実質は賃貸借であると主張しているのであるから契約が真意に出でた契約なりや否やについては争があるのである。原判決はこの争ある事実につき、事実の争ない部分と証拠と口頭弁論の全趣旨とを綜合し、右所論のような内容の契約は真意でない仮装行為であることを認定した上、この仮装行為に伴ういわゆる隠匿行為として、当事者双方の真意でなされた賃貸借契約の存することを認定したものである。従つて原判決は、所論のような一方においては、本件契約が締結されたことは当事者間に争なしとしながら、他方において証拠と弁論の全趣旨によりこれと異る事実を認定した違法や判例違反があるものではなく論旨は採用するに足りない。
同第四点について。
所論は、(1)原判決認定の「家賃統制令の適用を免れる目的」でなされたことの訴訟資料は被上告人のその旨の主張だけしかなく、しかも被上告人本人の陳述はこの主張と相反しているから、若し原判決にいわゆる弁論の全趣旨という意味が被上告人の右主張を指すものとすれば、右主張は上告人の否認するところであるから原判決は争ある事実について当事者一方の主張のみを資料としてその主張通りに認定した違法があるものであり、(2)若し、弁論の全趣旨とは右の主張を指さないとすれば何を指すのか原判決上不明であるから審理不尽、理由不備の違法あるものである、(3)又、重要な争点に関する被上告人の右主張とその本人の陳述とが相反する趣旨のものである場合には寧ろ弁論の全趣旨によりこの本人の陳述を排斥すべきに拘らずこれを右事実認定の資料としたのは違法である、というに帰する。
けれども、(1)原判決の判文によれば原判決は右の争ある事実を証拠によらず被上告人の主張だけによつてそのまま認定したものとは解せられない。(2)原判決が弁論の全趣旨をも賃貸借契約締結等の事実認定の一資料としているに拘らず弁論の全趣旨の内容を明示していないことは所論のとおりである。しかし、一般に民訴法一八五条にいわゆる弁論の全趣旨の内容は頗る微妙に亘りこれによつて裁判所が事実についての確信を得るに至つた理由を理性常識ある人が首肯できる程度に判決理由中に説示することは至難ないし不可能の場合が多い(特に当事者の主張陳述の態度、証拠調の際の証人、本人等の陳述態度等はこれを調書に記載すること、若しくはこれを裁判官が見て取つたと同様に正確に書記官が調書に記載することが至難ないし不可能の場合において左様である、)から、裁判所が弁論の全趣旨をも事実認定の一資料とした場合にその内容を判決理由中に説示することは、それが可能な限り、裁判所が判決における事実認定の適法正当であることを宣明し上告審における事後審査を容易ならしめる上において望ましいことに相違ないが、如何なる場合にも必ずこれが内容を判示すべきものとすることは裁判官に難きを求める場合を生じ合理的とはいい難い。従つて本件の如く裁判所が弁論の全趣旨をも事実認定の一資料とした場合にも必しもその内容を判決理由中に説示しなくても理由不備の違法あるものではないと解するのを妥当とする。次に、(3)被上告人本人の陳述内容は、記録によると、「契約が家賃統制令の適用を免れる目的でなされた」という被上告人の右主張と文字通り完全に一致するものでないことは所論のとおりであるが、決して右主張と相反せず却つてこれに添うものであり、これと原判決挙示の証拠とを綜合すれば次に述べるように右主張通りの原判決認定事実を認定することができる。従つて、所論の、被上告人の主張と被上告人本人の陳述とが相反するときは寧ろ弁論の全趣旨によりこの本人の陳述を事実認定の資料より排斥すべきであるとする主張も前提を欠くことになる。
のみならず、原判決が当事者間に争がないと認めた冒頭判示の事実と原判決挙示の証拠とを綜合しただけでも原判決認定の賃貸借契約の締結その他の事実を認定することができるから、いずれにしてもこの点に関し原判決にはその最終の判断に影響する違法はなく、所論は理由がない。
同第六点について。
所論は、要するに、原判決は賃貸借の事実を認定しながら、上告人の賃料支払請求の当否について判断しなかつたのは民訴法一八六条に違反し訴において判決を求める申立をした事項について判断を遺脱し、審理不尽、理由不備の違法あるものであるというにある。
しかしながら原告が訴訟物を特定する事実を主張しながらこれに対する法律的評価を誤り、もしくはその実体に合致しない法律的名称を使用したような場合には、裁判所はその法律的見解に拘束されることなく、これと異る法律的見解の下に原告の請求を認容し得べきこと勿論であるが、本件はかような場合と趣を異にし、上告人が訴訟物を特定する事実として主張した事実は、原判示の仮装行為たる共同経営、配当金支払契約であつて、原審認定の隠匿行為としてなされた賃貸借契約の如きは、そもそもこれとは別個の事実に属し、しかも上告人においてこれを否定した事実であるから、原審が、前者の事実によつて上告人の請求を排斥するに止め、後者の事実によつて上告人の請求の当否につき判示するところのなかつたのは、むしろ正当であつて、なんら所論の法条に違反するものでなく、論旨は理由がない。
その他の論旨は「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律一三八号)一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 垂水克己 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)
昭和二九年(オ)第二〇二号
上告人 畔柳菅次郎
被上告人 近藤道夫
上告代理人岩沢誠、同岩沢惣一、同小野寺章、同村部芳太郎の上告理由
第一点 原判決は法令の解釈を誤つているか、又は判例と反する判断をなした違法がある。
原判決は其の理由の前段において「被控訴人と控訴人との間に昭和二十一年十二月三十一日、被控訴人は札幌市北四条西三丁目一番地所在の建物を控訴人が菓子類の製造販売、喫茶、食堂及ダンス場を経営するためにその営業所として提供し、控訴人は損益計算を省略しその営業から生ずる総収入高の百分の十を一週間毎に被控訴人に対し精算支払うこと、控訴人は被控訴人に対し該営業所を控訴人に提供することに対する対価として金一万円を支払うこと、控訴人は自費で二階並びに階下を企業目的に使用するため被控訴人の承諾をえて屋外下見並びに建具を補充し屋内には各適当の設備を施し雑作、壁、水道、下水、瓦斯、電気等の関係物及び便所、手洗等を補修すること、営業に関しては控訴人が該家屋内に居住して一切これを行い、諸税公課等すべての支出を負担し、被控訴人には負担させず、たとい損失の場合でも被控訴人にその影響を蒙らしめないこと、該営業所並びに居住所の使用期間は昭和二十六年十二月末日限りと定め、なお協議の上さらに延長しうること、控訴人が企業目的を変更しようとする場合は被控訴人の承諾を必要とし、転廃業又は他へ移転する場合は移転料の如きを要求せず、諸道具類及び置物となせるもの以外は取除くことなくすべて取付け現存のまま無償で被控訴人に引渡すことを条件として諸設備をなすことなる契約条項を含む契約が締結されたことは当事者間に争がないところである」と判示して、上告人主張の共同経営の事実が当事者間に争のない事実であることを晰かにした。このように当事者の主張事実にして訴訟上当事者間に争のないものは裁判所はこれを真実なりとして取扱はなければならないから、それに反した認定はできない訳である。此の点については大審院も「事実裁判所が判決の基本と為るべき事実を確定するには常に必ず当事者の主張に係る事実関係を基礎とすることを要す。従つて其双方が相一致する場合に於て之と異なりたる事実を確定するには職権調査に関する事項を除く外は縦令証拠に依拠したる場合と雖も不法なり」(明四四・一二・一三、民録一七輯七八四頁)と判例しているのである。
然るに原判決は右の争のない事実を晰かにしながら理由後段において「右の事実に成立に争のない甲第一号証(略)控訴人近藤道夫の各本人尋問の結果並びに口頭弁論の全趣旨を綜合すれば、控訴人は被控訴人から札幌市北四条西三丁目一番地所在の木造亜鉛葺三階建十二坪及び石造瓦葺事務所建下坪十八坪二階坪十八坪を賃貸期間五箇年、権利金一万円で借受け(略)当事者間に賃貸借契約が締結されたこと(略)が認められるのであつて」と判示して前示争のない事実に反する事実を確定したのであるから、右は民事訴訟法第一八五条、同第二五七条の解釈を誤つたばかりでなく、大審院の判例と相反する判断をした違法がある。
第二点 原判決は採証の法則違反がある。
原判決は第一点において述べたように上告人主張の如き共同経営が争のない事実であることを晰かにしながら、それに反する賃貸借の事実を認めたのであるが、その採つた証拠を見ると控訴本人の供述以外には賃貸借の関係を窺知し得るものはない。而して共同経営の事実は甲第一号証(契約書)に明瞭に記載されてあるばかりでなく、被上告人においても甲第一号証(契約書)を作成したことは認めて争はないところであるし、配当金についても昭和二十二年六月上告人と被上告人が協議の上総収入高の百分の十を百分の十五に変更したことも争のないところであるから、甲第一号証の内容に反する事実を現はすことはできない訳である。殊に英米証拠法に基く現在の我国民事訴訟法下においては採証の法則を厳格に解さなければならない。
英米証拠法には文書証拠による口頭証拠排除の原則及び口頭証拠による文書証拠修正解釈拒否の原則がある。これは判決、決定、契約、贈与、所有権移転に関しては文書の存在する以上原則として他の口頭証拠を以て其内容を変更付加修正し得ざるものとす、というのである。故に文書が事件の情況上或る明確なる意義を有する場合には、其意義に之を解釈すべきものにして仮令作成者が之と異なりたる意義を有したりとなすも、之が証拠を許容すべきでないとされている。即ち契約の当事者が其の条項を特に書面に記載したときは彼等相互の合意に付ては其の書面を以て最も精確なものと解すべきであるが故に契約の場所に現在した当事者其他の証人を以て記憶を辿りつゝ内容を立証せしむるが如きことは排斥すべきであるし、亦之と同様に書面契約の条項を変更し増加し又は反駁する為めに口供の証拠を用ふることも排斥しなければならない。そうでなければ事実上口供を以て文書を改廃するの結果に陥るからであると結んでいる。
我国従来の証拠法においても証拠の証明力に段階あることは実験則上承認せられるところであつて、ある合意が文書に作成されて居る場合は其の記載自体を基礎として実験則上有する意義に従つて解釈すべく、特別の事情のない限り之に反する解釈は許されないのである。此の点について大審院は「書証の判断を為すには其の記載自体を基礎とすべく、若し特段の理由を掲くることなく、其の記載自体に反する判断を為したるときは採証の原則に戻り訴訟手続に遠法あるものとす」(昭和四年(オ)第一〇九五号民一判)と言ひ、亦証書に文字の記載ある上は相当の理由あるに非ざれば之を無視するを得ざるものとす(大正一〇年(オ)第八八一号民二部)と判示し、更に当事者の成立を認めて争わない契約の条項はその記載が印刷に係ると否とを問わずその当事者に対して効力を有し、当事者は之に覊束せられる意思を有すると推定すべき筋合であるから、事実裁判所において当事者がかゝる条項に覊束せられる意思を有せずと断ずにはかゝる推定を覆すに足るべき事実、実験の法則又は慣習等に依拠せざるべからざるものである(大正七年七月三十一日民録二四輯一四〇一頁)と判示しているのである。
然るに原判決は被上告人が成立を認めて争わない契約書(甲第一号証)の内容。即ち上告人と被上告人間に成立している共同経営の事実に対し「成立に争のない甲第一号証、乙第二号証(略)控訴人近藤道夫の各本人尋問の結果並びに口頭弁論の全趣旨を綜合すれば控訴人は被控訴人から札幌市北四条西三丁目一番地所在の木造亜鉛葺三階建十二坪及び石造瓦葺事務所建下坪十八坪二階坪十八坪を賃貸期間五箇年、権利金一万円で借受けるにあたり家賃統制令の適用を脱れる目的で賃貸借という形式を避け(略)当事者間に賃貸契約が締結されたこと(略)が認められるのであつて」と判示して賃貸借であるとした。併し其の説くところを見ればそのように認められるに至る特段の理由も実験則上の説明も無く、只漠然と綜合すればと称する文言を使つて、そのように認められると言うに過ぎないのであつて、その採つた証拠を見ても被上告人の供述以外には契約の内容(甲第一号証記載の共同経営)を覆することのできるような書証は一つも無い。然らば原判決は特段の理由なく、被上告人の口供を以て当事者の合意で作成された文書の内容と反する判断を為した違法がある。
又原判決は甲第一号証の契約書は家賃統制令の適用を脱れる目的で作成されたもので、事実は賃貸借契約であると言はるゝのであるが、それを証明する明確な資料が無い。只綜合すればという文言を使つて斯く判断すると言うのである。併し判断においてそのような結論を得るには先づ大前提として「人はその性が悪で常に法網を潜るものである」という命題がなければならない。そうでないと当事者が家賃統制令の適用を脱れることを為したという結論が出て来ない。けれども「人の性は善なり」ということは何人も真理として認めるところであるが「人の性は悪なり」ということは真理として肯定できない。然りとすれば原判決は真理でないものを大前提として結論を得ようとしたのであつて、そこに誤りがある訳である。而して真理は実験則によるものであるから、真理でないものを真理であると前提として甲第一号証(契約書)の記載内容と反する判断(結論)をした原判決は実験法則に反して為した違法がある。
第三点 原判決は法令の解釈を誤つた違法がある。
原判決は理由後段において「控訴人は被控訴人から札幌市北四条西三丁目一番地所在の木造亜鉛葺三階建十二坪及び石造瓦葺事務所建下坪十八坪二階坪十八坪を賃貸期間五箇年、権利金一万円で借受けるにあたり家賃統制令の適用を脱れる目的で賃貸借という形式を避け、営業所として右建物を提供し営業から生ずる総収入高の百分の十を支払う趣旨の条項を挿入したにすぎず真実は当事者間に賃貸借契約が締結されたこと、賃料も当初一箇月金七千円、ついで金一万円、昭和二十三年十月からは金一万五千円が支払われてきたことが認められるのであつて」と判示して、甲第一号証の記載内容が賃貸借であると判断したのであるが、賃貸借は当事者の一方が相手方に或物の使用及び収益を為さしむることを約し、相手方がこれに対して賃金を支払うことを約するに因つて効力を生ずる契約であつて有償契約であるから、賃金はその成立要件である。而して賃金というのは一定の時期間物を使用するに対して支払はるべき一定の金額であるが故に契約成立のときに一定の額に定まつていなければならない。このように賃金の額は賃貸借の因て以て成立する要素であるから若しこれを欠くにおいては賃貸借とは言ひ得ない訳である。
然るに原判決はたゞ「当初一箇月金七千円、ついで金一万円、昭和二十三年十月からは金一万五千円が支払われてきたことが認められる」と言つて、たゞ支払つたと謂うだけのことを言つて、その賃貸借の成立するについて賃貸借の要件である賃金の一定の額が幾らであるかを明らかにしない。従つて原判決によれば賃貸借が成立しているのか、いないのか判らない。然るに原判決は、これを賃貸借であるとしたのであるから、法令の解釈を誤つた違法がある。
尤も原判決が賃金としての一定の額を掲げようとしても、それはできないことである。本件の契約書(甲第一号証)を見るとその五に「経営は共同的となせるも営業開始後は損益計算は総て之を省略し、該家屋利用に於ける総収入高の百分の十(昭和二十二年六月百分の十五に変更)を甲(上告人)の収得高とし残り百分の九十(昭和二十三年六月百分の八十五に変更)は乙(被上告人)の収得高となすことを原則とす、而して其精算支払(乙より甲に対し)は一週間目毎に之を実行するものとす」と記載されて、事業の結果に従う浮動的な額を分配すると云うのであつて、其の額は一定しないのであるから、一定の額を現はす訳にはいかない。故に本件の契約の内容は共同経営で上告人が被上告人に営業所其の他の器具を提供して使用せしめ、其の営業上の総収入高の百分の十五の配当を受けるもので、その配当は浮動的なもので一定しないから、一定した額の賃料とは違うのであつて賃貸借ではないと解すべきであるのに、これを強いて賃貸借にしようとするから要素である賃金の説明がつかないのである。以上の次第で原判決は法令の解釈を誤つた違法がある。
第四点 原判決は法令の解釈及びその適用を誤つた違法がある。
原判決理由によれば「右の事実(甲第一号証表示の契約)に成立に争のない甲第一号証、乙第二号証、第六号証、第八、九、十号証、第十一号証の一、二、第十二号証、第十三号証の各一、二、原審及び当審における証人重泉武司の各証言、控訴人近藤道夫の各本人尋問の結果並びに口頭弁論の全趣旨を綜合すれば(中略)家賃統制令の適用を免かれる目的で賃貸借という形式を避け、営業所として右建物を提供し営業から生ずる総収入高の百分の十を支払う趣旨の条項を挿入したに過ぎず真実は当事者間に賃貸借契約が締結されたこと、賃料も一箇月金七千円、ついで金一万円、昭和二十三年十月からは金壱万五千円が支払われてきたことが認められるのであつて」と説示しており、弁論の全趣旨を事実認定の資料の一つとしていることが明らかである。
民事訴訟法第百八十五条によれば「裁判所ハ判決ヲ為スニ当リ其ノ為シタル口頭弁論ノ全趣旨及証拠調ノ結果ヲ斟酌シ自由ナル心証ニ依リ事実上ノ主張ヲ真実ト認ムヘキカ否ヲ判断ス」と規定されて裁判所が事実認定を行うについては、証拠調の結果のみならず弁論の全趣旨を斟酌しなければならないことが明確に示されている。
しこうして、この弁論の全趣旨は、当事者並びにその代理人の行つた口頭弁論全体の経過及び内容の総称、当事者及び代理人の自白、主張の前後、矛盾、不合理、不明確、供述態度、人格等口頭弁論に現われた総ての訴訟資料をいうものであることは学説、判例の共に一致するところであるが、これらの弁論の全趣旨を資料として事実を認定した場合には、判決中にその弁論の全趣旨を構成する事情を明らかにしなければならないのであつて、もしも当事者間に争ある事実を弁論の全趣旨として事実認定の資料に供したとするならば、正に違法を免かれない。従つて弁論の全趣旨による事実認定が適法か否かを判断するためには、その弁論の全趣旨を構成する事情を明らかにしなければ判らないのである。
しかるに原判決の認定によれば、単に口頭弁論の全趣旨とあるのみで、その全趣旨を構成する事情が何であるかは少しも判らない。原判決が「家賃統制令の適用を免かれる目的で云々」と説示している点より、原審に現われた一切の訴訟資料の中からそれに合致するものを摘出すれば、わずかに被上告人(控訴人、被告)が第一審冒頭において答弁書中説求原因に対する答弁の第一項において主張(これは第一審判決中事実摘示に記載されており、これは原審判決の事実摘示に引用されている)したに過ぎないのであつて、これはどこまでも被上告人の主張であり、しかもこの主張は上告人によつて第一審以来否認されている。加之、原審における被上告人の本人尋問の調書(昭和二十八年十一月三十日)中第一、二項によれば「私は昭和二十一年十一月満洲の奉天から引揚げて来たのですが、当時安住の家が無かつたので(中略)畔柳菅次郎から家が借りられるかもしれないという話でした。それで早速私は被控訴人のところえ行つて頼んでみたところ同人は、この建物は親戚のものからも借用方を頼まれている関係上他人のあなたに貸しては、いろいろ都合が悪いから私と共同で経営するということにしてくれと申しますので、私としては形式上は共同経営にするという事を条件にしてこれに同意し、本件の家屋を借受ける事にしたのであります」と供述しており、家賃統制令を免かれる目的で共同経営にしたのではなく、上告人畔柳の親戚の者に対する関係上共同経営にしたのであるということを明言している。この点において被上告人の主張とそれが本人としての供述とが全く異なつて前後矛盾を生じていることが明白に認められる。
かように、当事者の主張と、当事者の本人としての供述が重要な争点について相反するような場合は、弁論の全趣旨としてこれを取上げて排斥の価値ある一つの場合といえよう。
更にまた、被上告人の第一審における本人尋問調書(昭和二十六年二月七日)の第五項によれば「私と日産火災との間の約束は別に何も結んでおりません(買受けませんの意)」と供述しているのに対し、原審における被上告人の本人尋問調書(昭和二十八年十一月三十日)中第十四項によれば「私が本件家屋を昭和二十四年の十月頃に日産火災海上保険会社から買受けたにも拘らず昭和二十六年の五月頃になつてから所有権移転登記をした理由は云々」と供述して全く相反する供述を行つている点(そのいづれかは必ず虚偽である)も、弁論の全趣旨を構成する事情として、その供述全部を排斥される価値を持つものといわなければならない。これを要するに、原審が家賃統制令の適用を免かれる目的云々の事実認定の資料とした「弁論の全趣旨」なるものは、一体何を指すのであるのか全然不明であるが、本件記録上「家賃統制令の適用を免れる目的云々」の趣旨は、被上告人の主張以外には全く存在しないのであるから(被上告人の本人尋問の供述も前記の通りこれと反している)帰するところ、被上告人の主張を指すものというの外はない。
もしも、原審の「弁論の全趣旨」なるものが、この被上告人の主張を指すものとすれば、この主張自体は上告人の明確に否認しているものであり、帰するところ、争ある事実を事実認定の資料に供した違法があるものといわなければならない。
以上の次第であつて、原審のいわゆる「弁論の全趣旨」というのは一体何を指すのか、それを構成する事情が明確にならない限り、原判決の事実認定の適法かどうかも判断することができないのであつて、その点において審理不尽、理由不備の違法があるのみならず、もしも原審が前述の如く被上告人の主張を採つたとするならば、前述の如く争ある当事者の主張事実を事実認定の資料とした違法並びに弁論の全趣旨により排斥せらるべきものを事実認定の資料とした違法を免かれず、正に法令の解釈及びその適用を誤つたもので破棄せらるべきものと信ずる。
第五点 原判決は法令の適用を誤まり、これに違背した違法がある。
原審は前点摘録の如く「家賃統制令の適用を免かれる目的で賃貸借という形式を避け云々」と認定しているが、本件建物について上告人の第一審以来主張して来ているところは「抑々本件営業所は木造亜鉛葺三階建十二坪とその裏側の石造瓦葺倉庫建土間床十八坪とであり、三階建十二坪は原告(上告人)の所有であつて訴外日産火災海上保険株式会社の所有でない。同訴外日産火災海上保険株式会社の所有に属するものは裏の石造瓦葺倉庫十八坪だけである。それも二階、梁、床、階段、雑作及び電燈、瓦斯、水道の諸設備等はいずれも原告(上告人)の所有である。原告(上告人)が同訴外会社から月六十五円の賃料で借りているのは、同訴外会社所有の右石積の外壁とその屋根だけであつて建物の一部分に過ぎない」(第一審判決事実摘示)と主張しており、当事者間に成立の争のない甲第三号証(譲渡証)、甲第四号証(火災保険申込書)、甲第五号証(保険契約通知書)、甲第六号証(口頭弁論調書―自白)、甲第七号証(検証調書―自白)によれば、上告人本人尋問の結果を引用するまでもなく以上の上告人主張事実は十分に証明できるのである。従つて上告人と訴外日産火災海上保険株式会社との間における賃貸借契約は、本件建物の前面三階建十二坪の部分及びその裏側石造倉庫十八坪中の二階、梁、床、階段等上告人の買受けた部分を除く他の部分、すなわち裏側の石造外壁及び屋根の部分のみに対する賃貸借であつて、地代家賃統制令第四条第二項によつて統制の適用より除外されていることが明らかである。果して原審はこの事実を調査したであろうか、原審判決説示よりしては、原審がこの重要な争点について審理判断した何等の形跡を認めることができない。
しかるに、原審は上告人、被上告人間の共同事業契約について前点摘示の如く家賃統制令の適用を免かれる目的で賃貸借という形式を避けた契約であるとして認定しているが、果していかなる理由により、またいかなる証拠によりそのような事実を認定したのであろうか、また、これが家賃統制令の適用を免かれるため云々というが、しからば本件の場合の賃料の統制額は何程であろうか。
要するに、原審は、これらの点について何等の審理判断を行うことなく漫然と家賃統制額を免れる目的云々という認定を行つたのであつて、証拠に基かない裁判であるのみならず、法令の解釈適用を誤り、法令に違法あり、正に破毀せらるべきものと信ずる。
第六点 原判決は法令の解釈を誤り審理不尽、理由不備の違法がある。
民事訴訟法第一八六条は「裁判所ハ当事者ノ申立テサル事項ニ付判決ヲ為スコトヲ得ス」と規定しているが、これは反面からいうと裁判は申立てられた事項と同一のものについてなされなければならぬという意味であり、申立てたる事項に付判断を遺脱したときは違法たるを免れない(民事訴訟法第四二〇条第一項第九号参照)。而してこの申立られた事項というのは訴の場合に於ては請求の趣旨及び原因によつて特定された訴訟物である。尤も請求原因として訴状の記載事項としてはいかなる事実を記載すべきかについては議論があるが、訴訟物である権利関係の同一性を識別するに足る事実であるとすることが今日の通説である。而して契約に基く請求権が訴訟物であればその同一性の識別はその契約締結の事実、契約条項等によつてなされねばならぬ。而して具体的事実によつて訴訟物たる権利が定まり法律関係が特定されている以上は、その法律上の性質決定は法律的評価の問題として裁判所の職責に属するところであり当事者がこれを法律的術語を以て表示する必要はなく、仮にこれを表示した処で裁判所を拘束するものではない(大審院昭和十年四月十五日判決)。従つて裁判上は当事者の表示した法律的術語と異る名称の権利として判断したところで少しも当事者の申立てない事項について判決することゝはならないのである。
然るに原判決は上告人の請求原因である契約の事実を賃貸借契約と解した上「そうとすれば右の契約を営業上の利益の配当を受ける契約であると主張し該契約に基く配当金の支払を求める本訴請求は爾余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない」と判示した。而して原判決の認定した契約締結の事実は当事者間に争のない処であり、特定した契約事実であることは明白であり、その契約内容をなす給付請求権は訴状中に掲げられているのであるから、上告人の請求は特定され他の物から容易に識別されるのである。従つて右の契約を共同営業の利益分配契約と解しようと賃貸借契約と解しようと請求の同一性には変りない。
即ち上告人は右契約を営業上の利益分配契約に基く配当金の支払請求を求めたものであるとしたが、裁判所が右の契約を賃貸借と解して賃料支払請求の当否につき判決しても原告(上告人)の申立てない事項について判決したことにはならず、却つて、これについての当否を判断しなければならぬのである。然るに原判決はこの点を看過し、単に原告(上告人)主張の契約が賃貸借契約であると判断したのみで、これを唯一の理由として、右賃貸借契約に基く賃料支払請求の当否について何らの判断をもなさず上告人の請求を棄却したものであつて、右は民事訴訟法第一八六条の解釈を誤り、審理を尽さなかつたために理由不備の違法があり、正に破毀せらるべきものと信ずる。
以上